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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)5497号 判決

原告

甲野花子

右訴訟代理人

篠岡博

被告

遠藤俊造

右訴訟代理人

安達十郎

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求めた裁判

一、原告

(一)  被告は、原告に対し、金六五万六、八八七円およびこれに対する昭和四七年一〇月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

(三)  仮執行の宣言。

二、被告

(一)  主文と同旨。

第二  請求原因〈以下事実欄省略〉

理由

一事故の発生

被告が昭和四七年一〇月二四日当時原告主張のアパートを所有し、その二階一号室を羽田野ユリ子に賃貸していたことは当事者間に争いなく、〈証拠〉によれば、原告は、昭和四七年一〇月二四日午後一〇時半頃、右アパートの二階便所の非常口から外部に転落し負傷したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二事故前後の状況

〈証拠〉を総合し、弁論の全趣旨に徴すると、次の事実が認められる。

(一)  被告は、昭和四三年三月頃、木造平家建建物に二階を増築して本件アパートに改築したのであるが、その際、大工の助言によつて二階便所の奥にそこから非常事態発生の際には外部に脱出できる非常口を設けたこと、二階便所の奥側の室は約三尺四方でほぼ中央に便器を配置し、正面に向つて右側の外部に通じる壁に板戸を付けて非常口を設けているが、その板戸は、幅約九〇センチ、高さ約一メートル二〇センチ程度の大きさであり、その上部には、固定されたガラス窓が設置されていること、非常口の戸には普段差し込みの錠が付けられているが、その錠は留め金式であるため手で操作しないかぎり容易にはずれるようなことはないこと、便所には夜間でも使用しやすいように六〇ワツトの電球が一個付けられていた。

(二)  二階便所の清掃は、もともとアパートの居住者から代金を徴集して被告の妻が行つていたが、昭和四七年三月頃居住者からの要望によつて二階の居住者が輪番で行うことになつたため、被告の方としては清掃を行わず、また非常口の施錠の確認も行わなくなつたこと、昭和四七年一〇月二四日頃の清掃当番は羽田野か風間京子であつた。

(三)  羽田野は、昭和四三年四月頃から本件アパートの二階二号室に居住していたが、原告は羽田野と大学時代からの友人であつたため事件前後数回本件アパートを尋ねたこともあり、またその際二階便所を二、三回使用したこともあつたため、その内部の構造を知つていた。

(四)  原告は、事故当日昼過頃本件アパートに羽田野を訪ね、同女の居室にて羽田野の弟をも混じえて夜遅くまで雑談していたが、同夜一〇時半頃二階便所を使用した際、便所奥の非常口から外部に転落した。

(五)  被告は、アパートの入居者に対しては、ガスや石油ストーブの使用、便所・廊下・階段等の清掃については注意事項を遵守することを説明することは勿論、便所の非常用出口は非常の場合以外には開けないように注意するとともに、入居時には入居者に注意事項を記載した書面を手渡していた。

(六)  なお、本件事故当時まで、本件アパートの二階の居住者および訪問者において、便所奥の非常口から外部に転落するというような事故はなかつた。〈証拠判断略〉

右の本件事故前後の状況に、前記便所の構造を併せ考えると、本件事故の原因は、原告が便所の非常口を廊下に通じるドアと誤つて開けたため、そこから外部に転落したものと推認することができる。

原告は、この点について、用便後何気なく便所内の側面の壁と思われるところに手をついたところ、非常口が開いたため外部に転落した旨主張するが、これに副う原告本人の供述部分は、前記認定の事実、なかんずく原告がそこから外部に転落したという非常口は高さ約一二〇センチ程度であるから身体を折りまげ、さらに身体の重心を右足に強くかけないと全身が外部に飛び出すことは考えられないことに照らして軽々に措信することはできず、その他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三被告の責任

ところで、便所の奥に外部に通じる非常口を設置することはその使用目的からみて通常あり得ないことは原告指摘のとおりであるが、右非常口の設置はアパートの改築を請負つた大工の助言によるものであり、しかも日常はその非常口に施錠し容易に外部に開かないようにしていたものであるから、建築に特別の知識を持ち合わせておらずしかも便所の清掃をも二階の居住者にまかせていた被告にその設置・管理の不適切の責任を負わせることはでき難いのみならず、原告は、友人の居住するアパートを訪ねて雑談に時を費していたのであるから、訪問先のアパートの状況および日常生活様式を自ら容認してアパートに立入つたものというべく、アパートの経営者としても、訪問者の存在によつて特にアパートの居住者に対する以上に高度の注意義務を負い、すべての訪問者に対し便所内の非常口の存在等を周知徹底するような方法を講ずることを要求されるものとは考えられない。

以上の観点に立つて本件をみるに、本件事故の原因は前記のとおり推認できるのであるから、原告としては、訪問先のアパートの便所を使用するに際しては、出入口を確認することはいうに及ばず不要意に壁などに手をかけることのないよう僅かな注意を払えば不測の事故を未然に防止し得たものであり、この種この程度の注意は原告のごとき知識・経験を有する者にとつて通常当然遵守すべきものとして社会生活上期待されているというべきである。

してみると、本件事故は、原告が右のごとき容易に遵守すべき注意義務をつくさなかつたことによるものであるといわざるを得ないから、その結果についてはいわゆる自損行為として自らその責を負い、これを便所の管理の瑕疵あるいは他人の不法行為によるものとして損害賠償の請求をすることはできないものと解するのが相当である。

四結論

そうすると、原告の被告に対する本訴請求はその余の争点について判断するまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (塩崎勤)

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